「牛深の魚と私」

牛深生まれ牛深育ちの人に聞いてみる企画です。漁業の町牛深ならではの魚との思い出や、エピソードをご紹介します。

今回、第1回目はHERO海 光の森店 店長 高橋 一臣さんにお聞きしてみました。

両親は漁師 魚がいるのが当たり前の暮らし

私は、天草牛深で生まれました。

家業が漁業を営んでいた事もあり、牛深の魚とは縁を切ってもきれない関係です。

父親は早朝から漁に出かけていきます。朝から眠い目をこすりながら、漁船の出港を見送りに連れられていっていましたね。

漁から帰ってくると、そりゃたくさんの魚を持って帰ってくるんですよね。

そりゃもう、とにかく魚臭い。親父も家の中も、多分、僕も。笑。

だから、子供の頃から魚はそこらへん、至るところにあるのが当たり前。何も珍しくもない存在でした。

当時も今もですが、牛深にはコンビニとか少ないんですよね。

子供の頃ってすぐお腹空くじゃないですか。学校から帰ったらお腹ペコペコ。

「なんか無かと〜?」

で、返ってくる言葉がこれ。

「魚でんなめとけ!」まるでおやつのように魚を食べていた

「魚でんなめとけ!(魚でも食べておけ)」

そうです。「なめる」んです。

牛深の方言で「なめる」=「食べる」ですね。

ペロッとなめられるくらい、刺し身で食べる事は簡単な事で、当たり前すぎる日常の出来事なんですよね。

熊本市内に出てきたらびっくりされるんですけどね(笑)。

魚をなめる??って何?みたいな。

いやいや「魚はなめるもの」ですから。

牛深の魚と私。あまりにも近すぎて何も無い。むしろ牛深の魚が私だから。

だから、「牛深の魚と私」って聞かれても、逆に答えようが無いんですよね。

子供の頃からすごく身近にたくさんあったもので、現在も牛深の魚をメインで扱うお店で働いて、毎日牛深の魚と向き合ってますからね。

あえて言うなら、牛深の魚と私というより、「牛深の魚が私」ということでしょうか。

そんな切り離される関係ではなく、もう既に一体化してしまっている。肉体的にも。人生的にも。

子供の頃から牛深の魚が口から入り、消化され、吸収され、私は牛深の魚の栄養によって成長してきたといっても過言ではないでしょう。

そして、今現在は牛深の魚を取り扱って、お客様にご提供し、「新鮮!ブリブリ!おいしい!」って言って頂くことで、お金を頂いて生活できている。

牛深の恵みに感謝しかないです。